猪谷発電所 取り込み口 ローリングダム
昭和4年(1929年)、日本初となる純国産の水力発電所が完成した。
岐阜県と富山県の県境に位置する猪谷発電所だ。
それまで、水力発電所に使用されるタービン等の装置はヨーロッパからの輸入に頼っていたが、それらを全て国産品で賄って造られた。
これからご紹介するのは、その猪谷発電所の取水施設であるローリングダムと取り込み口だ。
猪谷発電所はダム水路式の水力発電所で、ダムによって落差を作り出すほか、川に沿って水平に水路を敷くことで高低差を作っている。
岐阜県北部にあるこの取り込み口は、下流に、より大きなダムを建設したことによって昭和38年(1963年)に稼動を停止した。
なお、猪谷発電所の本体は県をまたいで富山県にあり、現在も稼動している。
取り込み口の稼動停止から50年以上、川を堰き止めていたローリングダムは撤去されたが、それ以外の建物は放置され、廃墟として現在も残っている。
他の施設がことごとく改修された今となっては、日本初の純国産水力発電所の面影を残す唯一の存在といえるだろう。
川に近づくと、コンクリートの遺構が見えてきた。
川に並行するように建てられた施設。
ローリングダムによって堰き止められた水を、右岸から取り込んでいた。
内部は通り抜けられるようになっている。
先ほどの施設から、さらに堤防側(川の外側)にある施設。
こちらには、水門があったようだ。
内部は、新年会が開催出来そうな良好な状態。
但し、水門があった場所は空洞になっていて、水面へのフリーフォールとなっている。
ちょうど人が落ちそうな大きさで、落ちたら浅瀬のコンクリートに打ち付けて大ダメージを受けそうだ。
内側(川側)の施設から外側(堤防側)の施設を眺める。
これら二重構造の施設の先には、堤防に閉塞された坑口の跡があった。
これこそが、取水口の跡だ。
取水口に対して水面が低いように感じるのは、ローリングダムがなくなったからだろう。
左が川、右が堤防。
紅葉に映える。
川辺に戻って、この建物に入ってみよう。
川に落ちないように気をつけて、窓からすりすりと屋内へ。
増水するたびに水没したのであろう、床には川砂や流木が溜まり、木も生えていた。
本来の出入り口と、川から遠い窓は、全て土砂で埋もれていた。
出っ張りが気になる。
画像奥のやや背の高い建物に入るのが、結構大変だった。
苦労して上がったところで収穫はあまり無いのだけど、上がってみないと気になって仕方が無い。
やはり紅葉が綺麗。
川の対岸にも、コンクリートの遺構が残っている。
ローリングダムと、その上に架かっていた橋の名残だ。
ダムがあったと思われる付近から、急に水深が深くなっている。
この日は廃墟と同じぐらい、紅葉も見ていた気がする。
TEAM酷道の船津君が、現役当時の絵葉書を見つけてきたので最後に。
ローリングダムによってかなりの高低差があるのが分かる。
後にこのダムが無くなって下流に新しいダムが出来たため、ダム下流側の水位が上がり、高低差が無くなっている。
完成から85年、廃止から50年以上が過ぎた遺構は、建物だけではあるが、しっかりと残っていた。
特に保存されることも注目されることもなく、ひっそりと佇んでいる。
廃墟として朽ちていくか、産業遺産として注目を浴びて保存されるかなんて、紙一重だ。
その境界線は、必ずしも建物の意味や重要性によるものではない。
観光資源として役立つか否かといった打算的な要因や、ひっそりと無かったことにしたいという所有者の意向もある。
非常に重要な産業遺産であるにも関わらず、その重要性を訴える人がいなかったため解体された、なんてこともある。
世界遺産にしても、本当に重要なものから優先的に指定されているとは、決して思えない。
話がそれてしまったが、この遺構が今後どのような経緯を辿るにせよ、私は可能な限り見届けたいと思う。