徳山小学校


かつて、岐阜県徳山村に存在した小学校。
国内最大規模の徳山ダム建設問題は、度々全国ニュースにもなった。
徳山村には、この徳山小学校の本校と5つの分校があったが、ダム計画により全村がダム湖の湖底に沈むことになり、6校全てが廃校となった。
5つの分校は1987年に一斉に廃校となったが、本校だけは同年に休校扱いとなり、1993年に廃校になった。





徳山村で最期まで残った校舎で、ホームコースである酷道417号沿いに存在していたことから、度々訪れていた。



ただ、当時はデジカメなどなく。わざわざフィルムを使って廃墟を撮ろうなどとあまり思わなかったため、撮影した写真の数は少ない。



休校になった後はダム関連工事の作業小屋代わりに使われていた。



床から生えているキノコが珍しくて撮ったのだが、後で思えばこんなものを撮っている場合じゃなかった。



校内には、ボーリング見本が大量に放置されていた。



何度も訪問しておきながら、重大なものを見逃していたことに気付き、居ても立ってもいられなくなり、仕事から帰宅したのち、徳山小学校を訪問した。
思い立ったら即行く。次の休日まで、待てなかった。この悪い癖は、今でも変わっていない・・・



夜になってでも、どうしても見たかったもの。それは・・・



黒板に書かれた、このメッセージだった。



数十年に及ぶダム計画の変遷に翻弄され続けた村。
そんな村と運命を共にした小学校。
着工から37年が経過した2008年、多くの疑問や争いを残したまま、徳山ダムは完成し、徳山小学校はダム湖へと沈んだ。
「徳山しずまないでくれ」
このメッセージは、もう二度と見ることができない。