特集!藤原鉱山(暫定公開中)


○はじめに・・・
ここは、「藤原鉱山」または「白石鉱山」と呼ばれることが多い。藤原にあるから藤原鉱山、白石工業の鉱山だから白石鉱山と称されるが、どちらも誤りで、実在する他の鉱山を指すことになる。当「TEAM廃墟」では、なるべく屋号を出さず呼びやすい呼称にするため、誤りではあるが「藤原鉱山」と呼ぶことにしている。正しくは「白石工業桑名工場」ということになる。同鉱山を語るには、歴史的背景や社会的意義の記述が必要不可欠であり、そのためには、正式名称での掲載が不可避であると判断した。
名称が指し示すように、ここは単なる鉱山ではなく、採掘した鉱石から製品を作る工場だった。具体的には、石灰石を採掘し、炭酸カルシウム関連の工業製品を製造していた。石灰製品を製造していた関係で、白一色の世界が広がる貯蔵庫など、廃墟の写真を撮る人たちに有名な場所だ。
今までに何度も訪れているが、知れば知るほど興味深く、「産業遺跡としての廃墟」を強烈に意識させられることとなった。興味の赴くままに文献や現地を調査し、なんとか操業当時の様子を想像できるようになった。ここでの記述は、全てにおいて私の想像に過ぎないということを十分にお含み置きいただき、また、誤っている箇所については、メールか掲示板でご指摘いただければありがたい。

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○白石工業について
明治42年、白石恒二は、再還元法による軽微性炭酸カルシウムの製造方法を発明。弟とともに白石工業の前身となる白石兄弟商会を設立した。再還元法の物の動きを見ると、
石灰石(炭酸カルシウム)→生石灰→消石灰→炭酸カルシウム
であるので、一見手間がかかるだけの工程にも見える。実際、石灰石を物理的に細かく砕くだけでも炭酸カルシウムが得られる。しかし、こうした再還元の工程を辿らせることで、より粒子が細かくて均一な軽微性炭酸カルシウムが出来る。ちなみに、物理粉砕しただけのものを「重質炭酸カルシウム」、再還元したものを「軽質炭酸カルシウム」と呼び、区別している。
そして、大正8年、白石工業株式会社を設立。同10年には桑名工場が操業を開始し、本格的な生産が始まった。その後、順調に需要を拡大、全国に多数の工場と販売拠点を新設し、現在に至っている。



○「日本一」の企業へ
白石工業が製造・販売した「軽微性炭酸カルシウム」こそが、日本初の化学工業製品だった。また、軽微性炭酸カルシウムの粒子径は、およそ数十ナノメートル(1ナノ=10億分の1)。今でこそナノテクノロジーがもてはやされているが、ナノという言葉が使われるようになったのは1990年頃の話。その80年以上前の明治42年(1909年)に、既にナノ微粒子の紛体が、日本で化学的に作られていたことになる。世界の科学史においても、驚異的な事実といえる。
こうした微粒子で商売をしているため、研究・開発には顕微鏡が必要になってくる。日本で初めて電子顕微鏡を作り出したのも、白石工業だった。分析機器に関する技術も非常に高く、後に研究および分析機器開発部門が「株式会社白石中央研究所」として独立することになる。
今や炭酸カルシウムは、合成ゴムやプラスチック、紙、印刷インク、塗料、食品添加物、医薬品等に欠かせない原材料の一つになっている。白石工業は、世界最高水準の炭酸カルシウムをはじめ、様々な研究開発に取り組んでいて、業界のパイオニアとして君臨し続けている。販売量云々ではなく、白石工業が日本のトップメーカーであることは、歴史が物語っている。



○桑名工場
大正13年、桑名工場内に研究室が設置された。これが、白石工業における研究事業の始まりであり、日本初の電子顕微鏡を生み出す礎ともなった。余談だが、創始者の白石恒二は元々技術屋だったため、本社のある兵庫県の他にも、研究室のある桑名工場の近くにも邸を構えていたようだ。
昭和2年、さらに粒子径が小さい超微細炭酸カルシウム「白艶華(はくえんか)」の製造が桑名工場で始まる。この「白艶華」という商品は、世界中に輸出され、その商品名は、今や学術名ともなっている。
桑名工場をよく眺めていると、大正時代に建設されたとは思えないぐらい、実によく出来ている。原料から製品に至るプロセス、川から引いた水の流れ等、あらゆるものが「上から下」へ設計されている。「上から下」は、今やプラント設計の基本だが、ここまで徹底した省エネ設計は、現在でも珍しい。あえて山の斜面に建設された工場群は、重力のエネルギーを最大限生かし、全く無駄が無い。大量に必要となる水は、近くを流れる川から分流し、あれだけ高所に位置する工場の最上部まで、一切の動力を使わずに引き入れていた。それでも、どうしても必要になってくる電力は、上流に水力発電所を建設することにより、自前で賄っていた。
第一の増産拠点として大正10年から炭酸カルシウムを作り続けた桑名工場だが、作業の機械化等に伴い、昭和44年、操業を停止した。



○製品化までの流れ
鉱石の採掘から製品の出荷まで、一般的な工場生産の流れ

<軽質炭酸カルシウム>
 採掘   CaCO3(石灰石=炭酸カルシウム)
  ↓
 粗砕
  ↓
 焼成   CaCO3(炭酸カルシウム) → CaO(生石灰) + CO2(二酸化炭素)
  ↓
 消化   CaO(生石灰) + H2O(水) → Ca(OH)2(消石灰)
  ↓
 反応   Ca(OH)2(消石灰) + CO2(二酸化炭素) → CaCO3(炭酸カルシウム) + H2O(水)
  ↓
 濾過
  ↓
 乾燥
  ↓
 粉砕
  ↓
 出荷   CaCO3(炭酸カルシウム)


<重質炭酸カルシウム>
 採掘
  ↓
 選別
  ↓
 粗砕
  ↓
 粉砕
  ↓
 分級(水簸)
  ↓
 濾過
  ↓
 乾燥
  ↓
 粉砕
  ↓
 出荷



○行ったついでに、湧き水でも・・・
この工場を訪れると、嫌でも目に付くのが湧き水だ。トンネル工事をしている時に湧き出たようで、工事が終わった今でもトンネルの安全確保のために湧出させている。決して飲むために設置している訳ではないのに、県内外から多くの人が訪れる。
工場の目の前、アプローチの途中に湧き出ており、いつも車が長い列を作って順番待ちをしている。だから工場に入る際、湧き水を汲みに来る人たちから丸見えになってしまう。以前、工場から出てきたところをおばさんに捕まったことがある。「何やってた所なんですか?」と聞かれた。石灰石を採掘して製品を作っていた工場であること、経営していた会社は現在もトップメーカーとして別の場所に存在していること等を簡単に説明した。「へぇ〜そうなんですか。今まで来るたびに何だろうって思ってて。謎が解けたわ、ありがとう」と感謝された。そして、「あ、仕事の邪魔しちゃってごめんね。私は暇なもんだから、話し込んじゃって・・」と。
石灰石鉱山の目の前だから、カルシウム分を豊富に含んだ硬水ではないかと推測される。でも、自然の岩清水ではなく、言ってみれば工事の漏水がなぜ人気なのか。水を汲んでいる人たちに聞いてみた。単純においしいという人もいれば、「店で買うとペットボトル1本で500円するから」という人も。なんでも、丈夫な六角構造を持つ「六角水」というものらしい。美味しくて吸収が早く、美容健康にいいとか、万病に効くとまで言われている。病を治すために、遠方から汲みに来る人も多いようだ。
鉱山を眺めに行ったなら、ついでに試飲してみるのもいいかもしれない。



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○参考文献
『11892の化学商品』(化学工業日報社)
『化学便覧 応用編』(丸善株式会社)