神岡鉱山栃洞地区 南平の社宅


広域に亘って複数の地区で採掘を行っていた神岡鉱山。
栃洞や東茂住、大津山、漆山、下之本といった各地区には、多くの人々が暮らしていた。
鉱山のために住んでいる人々と、その人たちのための商店や学校、病院等があり、一つの街を形成していた。
その中でも最も規模の大きかった栃洞は、居住区は中心部にとどまらず、周辺に幾つかの集落を擁していた。
今回、栃洞の南側に位置する南平地区に現存する、木造平屋建ての鉱員アパートにお邪魔した。





夏場は草木が生い茂っているため、なかなか接近しにくい。
足元が草で完全に見えないため、蛇に対する警戒が必要だ。



何とか近づき、中にお邪魔する。



閉め切られていたであろう雨戸は既に崩れ落ち、オープンな状態に。
植物が徐々に侵食しつつあった。



部屋に入ってまず目に飛び込んできた、セクシーなカレンダー。



ついついめくってしまう。
カレンダーは1979年、今からおよそ30年も前の物だ。



悲しいかな・・・やっぱり最後までめくってしまう。
自然に還りつつある廃墟で一人、エロカレンダーに
見入ってる場合じゃないので、とにかく先に進もう。



神岡鉱山には、多くの木造社宅が現存するが、どれも造りは似ている。



格子戸から差し込む光が印象的だ。



ここは、共同の炊事場だと思われる。
無論ガスでは無く、かまど。
そのかまども、もはや原型を留めていない。



出入り口の真正面に大きな樹が生えていた。
ここが廃墟になってからの歳月を感じさせる。



木造家屋の敵は何といっても火。
消火栓や防火水槽は欠かせない。



続いてお隣へ。
ここは、同程度の長屋が4棟残っている。



建物の周囲が植物で囲われているため、外の光は中まで届かない。



真昼でも薄暗いため、ひょろっこい植物が生えていた。



そして、コウモリまで生息していた。
コウモリたちを起こしては申し訳ないので、そーっと行動する。



神岡鉱山の鉱員アパートには殆ど残留物が無いが、珍しく人形が残されていた。
女の子が遊んでいたのだろうか、一家団欒の画が思い浮かぶ。
それにしても、30年の歳月によって人形は無残な状態になってしまっている。
顔をうつ伏せる状態になっているので、暗い雰囲気を醸し出している。



上を向いて明るく・・・と思ったのだが、あんり明るい感じにはならなかった。
鉱山が衰退してこの住宅を去る時、その家族の胸中はどんなだっただろうか。
繁栄していた時の栄華とは裏腹に、ちょっと切ないストーリーも浮かんでくる。



廃墟が廃墟になるには、それなりの理由がある。
そうした繁栄と終焉を感じさせる二面性が、廃墟の大きな魅力だろう。
住宅の廃墟には、住んでいた人の数だけ物語やドラマがある。
私は、そうしたストーリーを勝手に想像しながら廃墟を探索するのが、好きでたまらない。
神岡鉱山は、最盛期には1万人以上が鉱山のために暮らしていた。
1800年にも及ぶ鉱山の歴史の中で、いったいどれだけの人が鉱山で働き、暮らしていたのだろうか。
想像もつかないほどの多くの物語が、神岡には詰まっている。
それもまた、鉱業施設とは違った神岡鉱山の魅力だろう。
その尽きることの無い神岡鉱山の魅力を、これからも少しずつ掘り起こしていきたいと思う。