神岡鉱山 茂住鉱区'2006春 〜3〜







ここが本丸の選鉱施設だ。壮大な空間が広がっている。
前回訪問した時には殆ど画像を紹介していなかったので、今回はたくさん撮ってきた。






























その時、またしても危機が訪れた。
我々は入ってきた丘の下で、車が停まった。
一瞬にして、緊張感が高まる。
音だけで様子は全く窺い知れない。
一同ピタリと動作を止め、物音一つ立てずに状況を見守る。
といっても音を聞くだけなので、いまいち状況が把握できない。
いずれにせよ、すぐに動くのは危険すぎる。
かなり時間をおいてから、撤収することにした。






私が外の様子を見ながら進み、一同を手招きする。
なんとか無事に、外に出ることができた。
来た時と同じ橋を渡って、茂住から撤退した。



今回茂住を再訪して、人的な脅威を全て回避できたのが奇跡的だった。
前回来た時よりも、施設の稼働率が高くなっているように思う。
そして、人の出入りも多い。
上下を稼動施設に挟まれ、実に攻略しにくい状況だ。
廃墟に入る際には、常にリスクを計算しないといけない。
この状況で、いつもだったら諦めていたかもしれない。
そこへあえて挑んだのは、挑戦だった。
それなりに装備や小道具を持っていたという要因も大きい。
ともあれ、ここはむやみに立ち入らない方がいいだろう。

栃洞は崩壊し、大津山への通路は絶たれ、茂住は研究施設としての利用が進んでいる。
神岡鉱山の「賞味期限」は、もう迫っているのかもしれない。
そして、ふと考えた。
これは、神岡だけの問題じゃ無いのではないか、と。
日本の鉱山は経済の高度成長とともに廃れ、今やほぼ全ての鉱山が閉山している。
日本最大の金属鉱山だった神岡鉱山は、比較的後期まで採掘を続けていた鉱山だった。
その神岡が、風化しようとしている。
ということは、日本中の全ての鉱山廃墟が、似た状況にあるのではないか。
炭鉱にしても、同じことだろう。
あの軍艦島だって風化が進み、町が予算をつけて補修している。
今後、大きな鉱山の開発なんて無いだろうから、鉱山や炭鉱の廃墟が見られるのは、今だけじゃないのか。
廃墟は無くなることは無いだろう。
今後、バブル期の巨大リゾート施設の廃墟なんかが見られるようになるかもしれない。
しかし、鉱山や炭鉱の廃墟というのは、独特の雰囲気がある。
町を上げての産業で、重労働の現場であり、また生活の場でもあったからかもしれない。
こうした鉱山・炭鉱廃墟も、いつか完全に風化してなくなってしまう。
ちょうど今が、その過渡期にあるのではないのか。
そんな疑念が、頭をよぎる。

このあと、道の駅で解散式を行った。
幾多の困難を共に乗り越えてきたためか、とても昨日はじめて会ったとは思えない。
我々は別れを惜しみ、再会を誓って帰路についた。