神岡鉱山 茂住社宅 真冬の探索


鉱山のあるところには、人がいる。
これまで、茂住地区は選鉱場しか紹介していなかったが、鉱山社宅も存在している。
今回、そんな社宅に真冬に訪問した。

これまで、神岡鉱山には数えきれないぐらい来ているが、いつも3月〜12月までだった。
3月でも1メートル近い積雪がある地域で、とても1月・2月は行けないと思っていたからだ。
しかし、50回ぐらい訪問しているうちに、真冬はどのようになっているのか、気になってしまった。
鉱山が栄えていた当時は、当然真冬でも操業していた訳で、そこで暮らしていた人々も厳しい冬を乗り切っていたのだ。
雪があるからといって甘えていてはいけない。そう思い、真冬に現地を訪れたのだが・・・






神岡でもめったにないという大荒れの天気となり、凄まじい吹雪に見舞われた。
こんな日に外出する車は無く、通った道には我の轍だけが残されていた。



車を置き、ここからは徒歩で向かう。
今日は船津君と2人での探索だ。



振り返ると、さっき停めたばかりの車が雪に埋もれていた。



吹き下ろしているのか吹き上げているのかも分からないぐらいの猛烈な吹雪。



向こうには、これから向かう鉱山住宅が見えている。



トンネルの隙間から、雪が勢いよく吹き込んでくる。



この状況で腰まである雪の中に突入したら遭難の恐れがあったため、天候の回復を待ち、社宅を目指した。



雪を遮るものが無い場所では腰以上の積雪があったが、雪が少ない場所を選んで住宅内へ。



僅かな隙間から雪が吹き込み、室内を真っ白にしていた。



スポーツカー関連のポスターやグッズがあった。ここの住人の趣味らしい。



昭和44年の三井金属鉱業のカレンダーがあった!
「四四起業」の五ヶ年計画で、神岡鉱山が最も華やかだった時代のものだ。
四四起業というのは、昭和44年に日産4400トンの鉱石を産出するという壮大な計画だ。
計画は達成され、神岡は日本一、東洋一の鉱山となった。
そんな昭和44年のカレンダーが見られたのだから、これだけで大満足だ。



他の場所には行けそうもなかったので、引き上げることにした。
このあと、車を脱出させるために一苦労することは、知る由もなかった。



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