仇討の家 〜後編〜






戸の部分には波板が打ち付けられていた。
こうした完璧なまでの防御により、日光も全く入り込まない。
50年以上も、日光と雨を遮り続けたが、ついに限界がきたようだ。
日光や雨の侵入を許せば、短い歳月で一気に風化が進み、倒壊へと至る。



畳は立てかけられるか、膨れ上がるかしている。
内部は綺麗に片付けられていたが、張り紙の跡までもがレトロに見える。



着実に、防御が崩れはじめている。



落ちていた新聞の切れ端。
「活版職人工」を募集する求人広告が、時代を感じさせる。



素朴な天井の梁にかけられた風鈴。
昔の家の造りは、しっかりとしている。



障子紙の替わりに張られた大日本帝国憲法文。
世界大戦前後からの廃屋を訪れると、よく見かける光景だ。



他の商店の広告も張ってあった。
電話番号が2ケタしかない。
交換局から呼び出していた時代のものだ。



そして、入った場所に戻ってきた。
それにしても、予想を越える年代物の廃屋だ。



障子に張られている紙切れ一枚にしても、非常に興味深い。
大日本帝国憲法文や新聞紙等を眺めていて、視線が止まった。
障子から右側が大きくはみ出すように張られ、垂れ下がっていた一枚の手書きの紙。
障子戸と柱とをまたぐように張られていたものが、柱側の糊が落ちてしまったようだ。
垂れ下がっていた紙をそーっと捲り上げ、筆書きされた文書に目を通してみる。
達筆ではないが、仮名使い等が現代とは異なるため、内容は殆ど理解できない。
でも、尋常ではない単語が、そこにはあった。



「仇討」
ある個人が、昭和20年代に警察署に宛てて書いた文だということは分かる。
何かの届出の書式だが、なぜその文面の中に「仇討」という言葉が出てくるのか。
ある種の想像は出来るが、想像でしかないので、各人のご想像にお任せしたい。



この廃屋は、昭和20年代頃から無人になったものと思われる。
私が、50年ぶりの訪問者となってしまったらしい。
この廃屋に足を踏み入れ、妙な感覚に陥った。
レトロという言葉を通り越しているせいか、時の流れが止まったかのような空間にいるためか、まるで自分自身までもが時間が止まってしまったかのような感覚に陥った。
時折、表通を走る車の音により、現実の時の流れに引き戻される。

そして、帰りがけに見つけてしまった「仇討」と書かれた文書。
まるで障子戸を封するかのように張られてこともあって、気になってしょうがない。
今となっては、「仇討」の文書にしても、元々どのような建物で、どんな人がどんな暮らしをしていたのか、想像することしか出来ない。
こうして、あれこれと想像させられる、想像心をかき立てられるのが、廃墟の大きな魅力だろう。

車まで戻ったところで、約束の時間を過ぎていたことを思い出し、急いで走り出した。