2003年頃の旧東青山駅
最初はTEAM酷道で来ましたが,雰囲気が気に入ったので、その後一人でも何度も行ってます。
隊員の引越しを手伝ってる時、深夜に引越し荷物を全部載せた状態で,ここに来たこともありました。
引越しとはまるで方向も違うし、距離もかけ離れていましたが。
2002年、正確な場所もわからずに行ったので,探すのに何時間もかかりました。
まあ、こうして探すのも,廃墟の楽しみの一つですが。
まさか、こんな山奥に電車が走ってたなんて。滝の上なのに。
トンネル内で列車同士の正面衝突事故があり、多くの方が亡くなっています。
その事故を機に複線化され、現在の近鉄大阪線は長い新青山トンネルを通っています
このあと、近くの女鬼トンネルに寄って帰りました
2003年、TEAM酷道のメンバー2名にゲストを2名加えた合計4名で再訪した時の記録です。
車では入れない道幅で急斜面の道を登っていきます。
滝を過ぎれば、もうすぐです。
前回は夏に来たため草むらの中にホームがありましたが、今回は冬だったためこんな感じに。
現役当時このあたりは単線区間で、ここ東青山駅で列車の行き違いをしていました。
そのためホームが2面・線路が3線あり、運行上で重要な駅だったようです。
駅の両側には、すぐトンネルがあります。
駅からさらに山を登って行く階段がありましたが、落石で通行困難です。
少し登ってみましたが、何もありませんでした。残念!
その階段のたもとには、売店跡がありました。
山の岩の窪みをそのまま利用したような感じです。
小さな鉄橋の部分には、枕木が朽ちていました。
駅の大阪方に口を開けているトンネルに入ります。
記録によると、事故の原因となった暴走列車はこのトンネル内で一旦停止したそうです。駅を目前に停止したままブレーキが解除できなくなり、駅から走ってきた助役と運転士がブレーキコックを閉め切って強制的に解除し、発車。ブレーキ機能を人為的に奪われた列車は、停車するはずの東青山駅のポイントを壊して通過、暴走が始まります。旧東青山駅は山中にあり標高が高かったため、列車は下り勾配で加速し続け、数キロ先の現東青山駅付近に到達する頃には、時速100キロを越えていたとされています。そしていくつ目かのトンネルに入った瞬間、東青山駅で行き違う筈だった反対列車と正面衝突しました。列車が吹き飛ぶほどの凄まじい衝突で、多くの犠牲者が出ました。また、線路が山の中を走っていて近くに道路が無かったこと、事故現場がトンネル内であったことも災いし、救助活動は困難を極めたようです。
レールは全て撤去されていますが、所々に鉄道の遺留物が残されています。
駅の反対側にあるトンネルにも入ってみました。
過去のことを知らないと、ハイキングができてなかなか楽しい場所です。
現東青山駅・青山高原付近からトンネルをいくつも越えながら歩いてみてもいいかもしれません。
ただ、廃線区間を全て歩くとなると、相当な距離がありますが・・・
2004年、TEAM酷道メンバーの引越しを手伝う際、3名で引越し荷物を車に載せたまま深夜に訪れた時の記録です。
今回は、衝突事故のあったトンネルに来てみました。
引越し作業中に、どういう訳か青山トンネルに行こうという流れになり、6時間以上は遠回りしてやってきました。
そのため、時間も深夜2時頃です。雨も降っていました。
トンネル内部は、敷石も撤去されていました。
端の方には入り口から色々な物が置かれていて、ちょっとした近鉄の倉庫になっています。
入り口の方には新しい工具類が置かれていましたが、進むにつれて古くなり、木箱も置かれています。
トンネル終点には柵があり、南京錠がかかっていました。
トンネルを出るとまたすぐにトンネルに入り、内部もこれと同じような感じです。
さあ、引越しの続きをしないと・・・