悲哀の廃集落 5/5





箪笥に壁掛け時計、どれをとってしっかりとした造りをしている。
家具も家もペラペラの使い捨てが当たり前の現代では、無駄なものなのかもしれないが。



山奥だけに、農業と林業が生活の糧だったのだろうか。



重厚な雰囲気の室内に、晩秋の爽やかな風が吹き込んでくる。



他の部屋ものぞいて見る。



老人のポスターと、「お金をちょうだい」と書かれた色紙がとても気になる。



火力を薪に頼るこの地域では、風呂も決して贅沢はできない。



さて、また川を渡って戻るとしよう。



公園の遊具も、廃れていた。



不自然に高い位置に、お墓が見えた。
水没しないように、お寺から移設されたのだろうか。
水没しなくなった今、何も知らずに見れば不思議な光景だろう。



ダムが村を割り、そして無人となった集落をあとにした。



今回、嫌というぐらい意識させられたのが、ダムの問題だった。
ダムのために集落が対立し、そして消えていった。
が、しかし、ダムは建設されなかった。
利水や治水は、ダムだけが絶対という訳ではなく、他にも有効な手立てはある。
ダムを造る目的の1つは、お金を使って経済を回すこと。
しかし、その狭間では、多くの犠牲や痛みを伴う。
経済が成長する度に、こうした犠牲を伴いながら、日本は成長してきた。
この廃集落をみていると、その狭間に翻弄され、巻き込まれ、平穏な生活を失った人々の悲哀が、感じられるような気がする。
その悲哀を土台として平穏な生活を送っていることを忘れないようにしたいと思った。