豊後森機関区扇形機関庫


この機関庫跡は、廃墟マニアや鉄道遺構マニアにも有名な場所で、なぜ今さら紹介するのかと訝しむ方もいるかもしれない。
ここを訪問したのは、廃墟が目的にはなく、宮原線の廃線跡が目的だった。
国鉄時代、九州は久大本線・恵良駅から南に向かって宮原(みやのはる)線が伸びていた。
宮原線は、佐賀から豊後に至る計画路線の一部として、1937年に肥後小国までの26.6キロが開業した。
しかし、計画路線は延伸されることなく、利用者が非常に少なかったことから、1984年に全線が廃止された。

この廃線跡を巡るにあたって、宮原線の機関車も所属していた豊後森機関区を訪れたのだった。
なお、宮原線探索の模様は、『廃線探訪』(彩図社)に書いたので、興味のある方はどうぞ・・・






前々日に岐阜から四国経由で九州に入り、前日は阿蘇で探索、そして、早朝に豊後森機関庫に来ていた。



転車台。扇形をした複数の車庫へ機関車を出し入れしたり、機関車の向きを変えるために活躍していた。



壮観な眺め。京都の梅小路に行けば、こうした扇形車庫に蒸気機関車がズラリと並んだ光景が見られる。



産業遺産として保存されているようだが、自然には勝てない。



庫内は綺麗に維持されていた。窓から射し込む朝日によって、独特な投影画が出来ていた。



天井から伸びる無数の排煙装置。閉塞された空間に蒸機を留めておく際には欠かせない装置だ。
蒸機時代には、トンネル内で立ち往生したために乗務員が窒息死する事故が度々発生していた。



安全は何よりも優先する。



ただの労災防止以上に、なにかを考えさせられる標語。



何らかの台車があった。こういうのを発見すると嬉しくなる。



梯子があると、とりあえず登りたくなる。



蒸機の物ではないが、小さな車輪が転がっていた。



観光案内板には、当時の写真があった。



早朝、豊後森機関区の扇形車庫を見学し、宮原線の廃線跡へ向かった。



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