山奥の廃校


真夜中に酷道を走っていたら、偶然発見した廃校。
周りに人家は一切なく、なぜこんなところに存在していたのか。
発見した時は、とても驚いた。






奈良県と三重県、和歌山県の県境にほど近い激しい山間部に、PC2階建ての校舎が突然現れた。



激しく山奥だというのに、激しく荒らされていた。



オルガンも、エアガンで蜂の巣にされていた。



教室の後はトイレ。



そして再び教室へ。
○年生といった表記はなく、教室1と教室2の2教室しかなかった。



民家も全くないような場所に、なぜ学校があったのか。
それは、この付近になった集落が、ことごとくダムによって水没したからだ。
この小中学校も水没したため、ダム湖上部に立て直されたのが、この校舎だった。
しかし、ダムの完成とともに村民はちりじりに移転し、人の姿が消えた。
1964年にこの校舎が完成したが、翌65年に卒業生を送り出すと休校となり、そのまま廃校になった。
わずか2年間で使命を終えた学校。
この校舎で学んだ卒業生は、小学校4名、中学校1名の合計5名だけだった。