広見小学校
最初にこの廃校を知ったのは、2008年。
広島で遭難者が救助されたというニュースだった。
スキー場からコースを外れて遭難した7人のスノーボーダーは、廃校で2晩を明かして全員が生還した。
偶然廃校を発見し、床板を燃やして暖を取ることが出来なければ惨事になっていた可能性が高い。
命を救った廃校にいつか行きたいと思っていたが、気がつけば10年が過ぎていた。
広見小学校は島根県匹見町の広見集落に、明治17年開校した。
かつては72戸の集落だったが、過疎化が進行。
1970年、匹見小学校に統合されて廃校となった。
最終年度の在校生は2名、集落は7戸だった。
その7戸も同年移転し、広見は廃村となった。
酷道388号を走っていると、建物が見えてきた。
廃校から50年近く経過しているが、意外としっかり残っている。
校舎正面。ちょっとボロボロ・・・
竹も曲がる豪雪地帯。
手前の建物は物置小屋と化していた。
トイレのサイズ感が、昭和の廃校を感じさせる。
いよいよ校舎内へ。
床を踏み抜かないように、廃墟を傷付けないように、慎重に進む。
テレビ。
風呂。
ハイ!せっけんで手をあらおう!
そしてここが、遭難者が2晩を過ごしたと思われる教室。
命を繋いだ焚火の跡。
この教室だけ床板がないのは、遭難者が剥がして薪にしたからだ。
廃校の姿は変わってしまったが、命を守るためなのだから仕方がない。
そもそも用途のない廃校だし、廃墟は廃墟マニアのためにあるのではなく、
むしろ廃墟マニアは招かれざる客だから、どうこう言える立場ではない。
10年来見たかった廃校が、ようやく見られた。
これで意気揚々と岐阜に帰ろう・・・
と言いたいところだが、そうは問屋が卸さない。
ここは中国地方屈指の酷道・488号の中央部に位置し、抜け出すにも大変な場所だ。
匹見峠の島根県側に開かずのゲートがあるため、広島県側から回り込まなければならず、帰りも然り。
往路に十分楽しんだ酷道だったが、復路も強制的に楽しませてくれる。
酷道を走る喜びを噛みしめながら、帰っていった。
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