明延鉱山 1/2


明延鉱山は、日本を代表するスズの鉱山だった。
平安時代に開山し、明治時代には三菱のヤマとなる。
戦後の最盛期には3,500トン/月ものスズを産出する、日本最大のスズ鉱山になった。
しかし、その後の円高による輸入鉱の台頭や鉱質の低下、金属価格の下落等によって経営不振に喘ぎ、1987年、閉山のやむなきに至った。

通常、鉱山は採掘場所の近くに選鉱場を造り、大半のズリを捨ててから精錬所へと運ばれる。
しかし、ここ明延鉱山では、採掘場所の周辺が手狭で、地形的に選鉱場を造ることができなかった。
そのため、山一つ隔てた神子畑に選鉱場を造った。
明延と神子畑を行き来するためには、山を大きく迂回しなければならない。
現在でも車で片道40分はかかる道のりで、当時としては相当なロスが生じることになる。
そこで、山を全長5キロにも及ぶトンネルでぶち抜き、トロッコを走らせて鉱石を輸送していた。
そうした名残を、現在でも見ることができる。






明延にあるモニュメント。当時の電車やトロッコも展示されている。



明延鉱山に関する資料を、個人の方が自宅前に展示しているのを発見し引き返して来た。



貴重な当時の写真も展示されている。



人を運んでいた一円電車が有名で、空き地内の限られた場所ではあるが、定期的に運転されていて乗車することもできる。



坑道跡を「探検坑道」としてある程度整備している。
諸条件を満たし、事前に予約をしておけば見学できる。



探検坑道というだけあって、各地にある観光坑道とは一線を画している。



立て坑エレベーターも当時のまま残っていて、探検気分が味わえる。



採掘場の近くには、ズリが大量に捨てられている。残念ながら中に入ることはできない。



ズリ山にインクラインって、軌道敷の強度は大丈夫だったのだろうか・・・



ここから線路は選鉱場へと続く。



トンネルが閉塞されているため、車で大幅に迂回して神子畑選鉱場へ。
長らく廃墟の状態で放置されていたが、2004年に解体されてコンクリートの基礎だけが残っている。
当時は自分もガッカリしたものだが、実際に鉱山で働いていた人の話を聞いて、解体も必要なんだと思った。
今は閉山したけど、また再開する日が来るかもしれない。これまでの歴史も、閉山と再開を繰り返してきた。
だから、解体はそのための準備なのだと。おう言われたら、廃墟のままがよかったなんて言えない。



こちらのインクラインは軌間も広く、しっかりとしている。
何よりも、真ん中で上下の列車がすれ違えるようになっているのが凄い。



選鉱場の近くには、小学校跡も残っている。



ブランコが無残な状態に。



卒業生が残していったと思われるオブジェが残っていた。



公式な見学コースを離れ、山の急斜面をゆく。前を行くのはGAS君だ。



明延鉱山 2/2 へつづく


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