軍艦島 〜その1〜
廃墟を趣味とする者にとって、軍艦島の愛称で知られる端島は欠かすことが出来ない存在だろう。
多くの廃墟探訪者が、国内トップレベルの物件として位置付けている。
軍艦島は、かつて炭鉱の島として賑わい、小さな島に5000人以上が暮らしていた。
しかし、時代の変遷によって炭鉱の操業が終了するとともに、無人島になった。
我々TEAM酷道としても、どうしても行ってみたい場所だった。
2003年春、よごれん・総裁にゲスト2名を加えた4人で、軍艦島を目指して出発した!
名古屋からR22→R21→琵琶湖湖周道路→亀岡→池田→六甲山→ひたすらR2→関門トンネル→R3→R202といったルートで2晩・約30時間かけて現地入り。
着いたのは、まだ日も上がらない午前5時だった。
最大の問題は、上陸ルート。無人島のため、定期航路はもちろん無い。
その上、島への立入が禁止されているため、ルートの確保は困難だった。
数十キロ圏内の漁港を片っ端から回って漁師さんと直接交渉するも、良い返答は一つも得られなかった。
「連れてってやりたいけど、バレたら魚協を締め出されて生活できなくなる」と言われては、仕方ない。
そうこうしているうちに日が昇り、対岸から島の姿が見えるようになった。
こうして5キロも離れた岸から見ていても、重苦しい存在感が押し寄せてくる。
「これを見て、諦める訳にはいかない!」
最終手段として、某フェリーをチャーターすることにした。
上陸するのは、私・よごれんと隊員・総裁の2名。
残りのゲスト2名は、長崎市街へ中華を求めて行ってしまった。
フェリーのチャーターには、釣り船の5倍以上の費用がかかるが、この際仕方がない。
予約なし、当日すぐ行って欲しいという無茶な要求に応えてくれて、上陸への手はずが整った。
フェリーへ乗り込む。
50人ほど乗れるフェリーに、客は二人だけ。
こんなに胸が高鳴るのは、何年ぶりだろうか。
我々は船長に断って、甲板へと踊り出た。
春先の朝の風が冷たかったが、今は全く気にならない。
サービスで、島の回りを一周してくれた。
今までに巡ってきた物件とは、まるで違う。
もはや「物件」と呼べるものでは無い。
壮大なスケールで語りかけてくる軍艦島を目前にし、我々は既に言葉を失っていた。
夢中でシャッターを押し、そして、ただ眺めていた。
いよいよ上陸へ!
軍艦島 〜その2〜