神岡鉱山 栃洞2008 1/2
かつては国内最大の採掘量と世界屈指の歴史を誇った神岡鉱山。
採掘中止とともに国内最大の廃墟と化していたが、近年になって各地区で解体工事が始まった。
解体を免れている建物も自然崩壊が進み、急速に姿を消しつつある。
そんな神岡鉱山の中でも、解体工事と自然崩壊の双方によって最も消滅が進行している栃洞地区の現状を、ご紹介したい。
かつては建物が建ち並んでいたトロッコ電車のプラットレール付近は、先の解体工事で更地に。
トロッコたちが入っている旧プラットホーム付近は、シャッターが設置され保存されていた。
更地になったトロッコ電車の軌道跡を歩く。
軌道敷だった頃は長く感じた道のりも、更地になってしまえばあっという間だ。
様相が一変した場所から眺めるいつもの風景。
朝霧が立て込める中、いよいよ選鉱場内へ。
増設された新たしい工場も、屋根が落ちてきている。
となると、地面は当然・・・
このようになる。
嵐の日にここにいると、大変危険だった。
昭和初期に建設された木造の栃洞第一選鉱場は、昭和40〜50年代には使用されなくなった。
ここが豪雪地帯だということを考えれば、崩壊が激しくとも現存しているのが奇跡的だ。
この画像の中央付近に見える、窓のある通路・・・
この通路は来る度に傾きが激しくなっている。
ちなみに、通路をゆくと・・・
こんな風景が見える。
木造の選鉱場がダイナミックに崩壊している。
階段を上り進む。
階段は残っているが、建物の側壁は残っていない。
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