神岡鉱山 漆山地区 1/3
神岡漆山鉱山。
最盛期の採鉱量は、神岡鉱山全体の2割以上を占め、1500人以上が働いていた。
明治34年には私立漆山小学校が開校。
三井鉱山による学校の創立は、栃洞小学校に次いで二例目だった。
しかし、大正に入って鉱石の品位が低下し、大正6年に二度の大火災が発生したのを機に閉山となった。
閉山から90年余りが経つ今、何か鉱山の面影は残っているだろうか。
90年という歳月が微妙なところだが、かつては大規模な鉱山であっただけに、何かあるかもしれない。
そう思うと居ても立ってもいられず、淡い期待を胸に漆山散策に出かけた。
漆山の麓、国道沿いには、今も集落がある。
ただ、当時の活気はまるでなく、廃れてしまった建物も多い。
小・中学校も今は無く、公民館の裏に記念碑が立っていた。
かつて小中学校があってであろう広場。
グランドの面影が、僅かに残っている。
さて、いよいよ山に登り始める。
水力発電の高圧水管。
これの横に沿って、道がある。
つまり、これと同じ角度の上り坂。
この角度は、正直きつい。
発電所の上部に到着。
ここからが、長い戦いの始まりになる。
地図で最短コースを調べて選定したのが、裏目に出たかもしれない・・・。
地図上では、道は等高線と直角に交わっており、階段でもおかしくない角度がこの先も続く。
直線で山頂付近につながっているので、最短コースであることは間違いない。と思う。
のっけから、道が怪しい。
しかも、急な上り坂の角度も、あまり変わっていない。
電柱だったと思われる木が、横たわっていた。
引っ掻いたような嫌な感じの傷が、否応なく目に付く。
こんな山奥で、とまって安全確認?
最初、誰かが悪戯で持ってきたのかと思ったが、この先にも複数あったので、謎は深まるばかり。
何がどう、止まって安全確認をするのだろうか・・・
神岡鉱山漆山地区2/3 へつづく
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