酷道352号 1/4


酷道352号といえば、新潟県柏崎市から栃木県河内郡上三川町を結ぶ一般国道で、新潟県魚沼市から福島県境付近まで、酷道の区間が連続する。
この酷道、実は過去に何度か通行したことがあったら、ある理由から、いつも深夜だったため、一枚も写真を撮ったことはなかった。
ある理由というのは、この道を通るのは、私の住んでいる岐阜から仙台まで、牛タンを食べに行く時だけだったからだ。
だいたいルートが決まっていて、週末金曜日の夜に岐阜を出発し、国道21号→国道19号で長野、国道117号で新潟、そして国道252号で会津若松、国道112号で山形、蔵王山頂を越えて仙台へと入るのが定番だった。
しかし、同じルートで10回以上牛タンを食べに行っていると、飽きてくる。
特に新潟から会津若松を通る頃は明け方前で、最も眠くなる時間でもあった。
また、午前8時頃には喜多方に着いてしまい、ラーメンを食べるにはヒマを持て余してしまう。
そこで考えたのが、この酷道352号を通るルートだった。
新潟県魚沼市から奥只見湖の南側を経て、国道401号で会津若松に至る。
既存の国道252号ルートよりも距離的にも長くなるが、道も酷いのでちょうどいい時間潰しになる。
それに、酷道を走っていると眠気も吹っ飛ぶ。
そうしたことから、この酷道352号を、深夜に何度か走ったことがあった。
2008年11月、ぷらっと一人で行くあても無く車を走らせていた私は、この酷道のことを思い出し、初めて日中に走ってみることにした。




前夜の金曜日、いつもより遅い時間に出発した私は、長野から新潟県に入る頃に日の出を迎えた。
この国道352号を走り、酷道352号を目指す。早朝の空気が清清しいが、路面の雪が気になる。



352号に入るや否や、この電光表示が。
冬季閉鎖って、まだ11月の中ごろなのに。
冬季閉鎖は12月からじゃないのか。
岐阜県民が考える冬季閉鎖のイメージとは、若干違っているようだ。



そんなことをいちいち気にしてては酷道は走れない。
見なかったフリをして、先へと進む。
進むにつれて、雪の量が目に見えて増えてきた。



集落を抜けると、さらに雪が深くなった。
そして、2車線のうち1車線は、除雪を諦めたようだ。



スノーシェッドの内部には、取り外された多くの道路標識類が無造作に置かれていた。
雪の深い地域だけに、破損しないように毎年冬になると取り外され、ここで冬を越すのだろう。



とても11月とは思えない、真冬のような状態になってきた。
車から一歩外に出ると、空気が突き刺さるように冷たい。
早朝の、この澄んだ空気は、寒いけど好きだ。



除雪もたいがいな感じになってきた。この酷道第一の難所・枝折峠が近づいてきた。
ちなみに、この“枝折峠”という名前は、尾瀬三郎が枝を折りながら進んだことに由来する。
尾瀬三郎といえば、一人の女性を巡り、時の権力者・平清盛との争いに敗れ、この銀平山に流れ着いたと言われている。
ハイキングで有名な、あの“尾瀬沼”の地名の由来にもなった人物だ。



フィットのタイヤをスタッドレスに替えてきてよかった・・・



道幅も1車線になり、ようやく酷道らしくなってきた。



部分部分では2車線の区間があるが、ある意味路面状態が酷道だ。



と、ここで冬季閉鎖のゲートにぶつかった。
ラッキー、こんなゲートだったら簡単に・・・
しかし、すぐ先にはトラックが止まり、何やら作業をしている。
作業員がこちらを見ている状況で、ゲートをどけて侵入する訳にもいかないだろう。
しょうがないので、諦めて引き返すことにした。
かといって、この酷道352号を諦めた訳ではない。
まだまだ挑戦は始まったばかりだ。






酷道352号 2/4


酷道のページへもどる