二股トンネル徹底調査!〜完結編〜 1/2
前回の調査以降、何度か現地に足を運んだり、町史等や社史等を閲覧したが、特に大きな進展は見られなかった。
文献と現地調査だけでは、仮説は所詮仮説であり、核心に迫ることが出来なかった。
そんな状況が続いていたある日、やはり原点は現場にあるのではないかと思い、改めて二股トンネルを訪ねてみた。
(本編は、画像と本文は連動せずに進行します)
改めて二股トンネルを訪問する。
こうして、ここに来るのは何回目だろうか。
記述の通り、東海地区最強の心霊スポットと言われ、夏の夜にもなると多くの若者で賑わう。
しかし、“調査対象”という目で見ているためか、このトンネルを怖いと思ったことは一度もない。
たとえ、この内壁に本当に多数の人が埋め込まれていたとしても、真実を知りたいという好奇心の方が先に立ってしまう。
いつも一人で来ているが、変な声が聞こえたり、変なものが見えたり、呪われるというようなことも、全くない。
トンネル内部の落書きは、冬場であっても着実に増えている。
公共物・私物を問わず、落書きは犯罪だが、廃墟やトンネル内で落書きを一つ一つ見ていくのは、面白い。
前からあるもの、前回の訪問時から増えているもの、一通り落書きを鑑賞し、トンネルを通り抜ける。
こうして、このトンネルを訪れる度にちょっとした小変化があり、それらを観察するのも楽しいが、調査は進展しない。
そして、トンネルが内部で二股に分岐していた片割れとおぼしき素掘りのトンネルに向かう。
山肌にぽっかりと口を開いている様は、トンネルというよりかは洞窟のように見える。
以前は、内部に人が住んでいた形跡もあったが、その痕跡も、年月の経過とともに風化していた。
入り口から100メートルもしないうちに、行き止まりとなる。
行き止まりは、落盤によるものではなく、トンネル内とは異質の土砂を外部から持ち込み、埋め戻したように見える。
二股トンネル本体も、こちらの素堀りのトンネルも、大きな変化は無かった。
トンネルを出て、旧道の崩壊箇所の上部にもよじ登ったが、特に収穫はなかった。
実地調査での限界は今までに感じていたが、今回は、まるでそれを再確認する作業のようだった。
そうした確認作業を終えて、ようやく重い腰を上げることにした。
こうなったら、やはりあれしかない。
最初にこのトンネルの噂というか、都市伝説のような話を聞いたのは、地元に住む友人からだった。
その友人は、自身の祖母から聞いたと言っていた。
人づての話では信憑性も薄いが、当時のことを知る人から直接話が聞ければ、かなり事実に近いだろう。
こうして、長時間に及ぶ聞き込み調査が始まった。
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