二股トンネル徹底調査 2/2



2005年2月に単独で再調査した時のレポートです




県道から林道に入り、アスファルトがすぐにダートになりました。



林道としては、まずまずの状態。



しかし、坂道がきつい!
ぼこぼこのダートでこの勾配は、四駆でも厳しいです。



道が、どんどんアバウトになってきました。
一瞬躊躇するも、突き進みます。



道幅も、パジェロミニで限界的な狭さです。
カーブや分岐では切り返りが必要なほど・・・



さらにぬかるんでいて、路肩軟弱。雪も残っていて条件は悪くなる一方。
四駆で低速でも滑り、この道幅だけに、久しぶりに全身が緊張しました。



路肩がぬかるんで谷側に車体が沈む場面もあり、緊張はピークに。
車体が沈んだ時は、さすがに撮影どころではありませんでした。



そして、迎えた結末は・・・
多数の「木崩れ」により、通行出来なくなっていました。



また、どういうわけかこの先には獣道すらなく、完全にここで行き止まりになっていました。
いや、ほんとにこんな行き止まりってあるんですね。



やはりというべきか、何の手がかりも得られず、引き返します。
こんな前進さえ困難だった道を、ずっとバックで帰ることは絶対にしたくなかったので、少し広い場所で無理矢理切り返します。


ぬかるんだ場所では、来た時のタイヤの跡がはっきりと残っていました。
ダート・狭路・ぬかるみ・急斜面。久しぶりに骨のある道でした。

結局、二股トンネルの出口は見つからず、この林道は空振りに終わりました。
ある意味予想通りだったので、確認が出来たとも言えます。

残る可能性としては、等高地点である、旧道に抜けるルートです。
どのような理由で必要だったかは推測の域を出ませんが、考えられなくもありません。
そして、頭をよぎったのは、旧道の恵那側にあった素掘りのトンネル(「酷道418号その3」参照)です。
よく考えてみると、あの素掘りのトンネルが埋められていた地点と旧道の崩壊地点が同じぐらいの位置関係 にあります。



地図に赤で書き加えたのが素掘りのトンネル、茶色が崩壊現場です。
斜面がかなり上の方から崩壊しており、素掘りのトンネルが続いていたと仮定するなら、旧道もろとも崩れ落ちたと考えられます。
そして素掘りのトンネルが、崩壊現場か、その先で二股トンネルとつながっていたとすれば・・・
前提として、「二股トンネルが内部で分岐していた」とするならば、こう考えるのが最も合理的ではないでしょうか。
年代としては、二股トンネルが現在の拡幅・コンクリ打ち付けで完成した昭和31年よりも、以前のことだと推測されます。
昭和31年に現在の姿になる際、旧道への小さな分岐路は閉じられ、コンクリートで固められて一本道のトンネルになったのではないでしょうか。

ただ、全ては憶測の域を出ません。
崩壊現場で発見した、石垣の辺りまで行くことが出来れば、何らかの手がかりが掴めるかもしれません。
次回調査では、ザイル等の装備を整え、「素掘りトンネルの埋められた向こう側」の発見を第一目標に掲げ、全容解明に努めたいと思います。






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