酷道439紀行6 早明浦ダム周辺








旅の二日目。早起きをして酷道から逸れて限界集落に来ていた。
まずは廃校跡が見つかったので、それを探索。
探索の模様はTEAM廃墟の限界集落の廃小中学校を参照。
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その後、さらに奥地に存在する集落を訪ねようとするも、舗装が切れてダートになってしまった。
それも状態の悪いダートで、時おり車から降りてシャベルで道を慣らしながら進んでゆく。



こんな水量豊富な洗い越しも登場し、ついに車で進めなくなった。
これはおかしいと思い引き返してみると、ダートに入る直前にお目当ての集落があった。



早速、ここに暮らすお婆さんにお話を聞いてみた。
ここにはかつて6軒のお宅があったが、今は2軒になってしまった。
何百年も前からここに家があったが、20年前に道路が出来た。
それまでは歩いて何時間もかかけて商店や病院に出るか、馬を使っていた。
道が出来るや、すぐにみんな街へ出て行ってしまった。
歩いてしか行けない集落は不便だろうと道を造ると人が流出してしまう。
そんな構図は、どこも同じらしい。



かつては6軒で作物や家畜などを融通しあった生きていた。
だが、今ではそれも出来ず、生活に必要なものの大部分は街へ買出しに行かなければならない。
また、近くにあった小中学校は40年前に廃校になった。
廃校後は集会場や選挙の投票場にもなっていたが、それも20年前に廃止された。
もしも子供がいても、学校に通わせるのは困難な距離だ。
選挙の投票に行くには、タクシーで往復1万円程かかる。
離村が離村を生むスパイラルな構造は、簡単には変革しがたい。



また、そもそもなぜこんな山奥に集落があったのかと尋ねると、平家の落人(おちうど)伝説の話を教えて切れた。
源平の戦いに敗れた平清盛一派が、身を隠すために人里離れた山奥に暮らしたという、一種の民話だ。
平家の落人伝説を謳う場所は全国に100箇所以上あり、都市伝説の先駆けともいえうだろう。
だが、九州の五家荘と四国山地については、信憑性が高いとされている。
四国の限界集落を訪ねるにあたり、平家との関わりも気に留める必要がありそうだ。



次に我々が向かったのは、白滝鉱山跡だった。
早明浦ダムを越えてさらに北上し、ようやく施設の一つが見えてきた。
この探索の模様については、TEAM廃墟の白滝鉱山を参照。
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鉱山跡を探索していたら、すっかり日が暮れていた。
今週の探索はここまでにして、一旦岐阜に帰る。
そして5日間仕事をしたら、また徹夜で車を走らせて四国に入り、ヨサクの続きを走る。



酷道439号紀行7 早明浦ダム周辺→県道6号


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