東日本大震災
岩手県釜石市 2011年3月19日
震災の翌週、現地の状況が全く分からず、不安だらけの旅立ちだった。
車を運転しながら、電波が入る限りニュースを流し続けた。
道路が分断されている状況が想定されるし、災害救助法が適用されているので、どこまで車で行けるのかも不安だった。
50キロ手前で止められることも想定し、折り畳み自転車も積んできた。
丸1日歩くことになったとしても、絶対現地に入る。
そう決意したのは、阪神大震災の時に経験した違和感や無力感を、二度と味わいたくなかったからだ。
家族からも猛烈に反対されたが、ここで行かなかったら、絶対に一生後悔すると思った。
岐阜から車を走らせること14時間、釜石に着いたのは午前3時だった。
意外にもあっさりと被災地まで車で入ることができた。
未曾有の大災害だというのに、全く人も車も見当たらない。
深夜とはいえ、不気味な静けさだった。
内陸部でも停電が続いていたため、長らく灯りを見ていなかった。
唯一の灯りを発見して近づいてみると、災害対策本部があった。
自衛隊や消防、警察、日本赤十字・・・あらゆる支援機関がそこに終結していた。
電源車からの灯りが街唯一の照明であるためか、みんながその近くにテントを張ったり車を停めて、夜を明かしていた。
自分もその中に加わり、日の出を待った。
向かいの駐車場では、北海道警察の支援隊が車の中で夜を明かしていた。
自衛隊は、これまでにない規模での派遣だった。
空が白みはじめたので、市街地へ向かった。
はじめて見る津波の被災地は、壮絶だった。
路上では魚が死んでいる。
津波の被災地では、打ち上げられた大量の魚の死骸から発生する死臭やヘドロ、燃料の油の臭いが入り混じった強烈な臭気が漂っていた。
これまでに嗅いだことのない臭いだが、どこの被災地に行っても同じ臭いがして、体に染みついた。
商店街の道路は、津波によって激流の川と化したという。
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