東日本大震災

宮城県石巻市 2011年3月20日





2日目、夜明けとともに移動を開始し、中心部を抜けて港街が点在する郊外へとやってきた。
これまでに見てきた被災地とは異なり、津波によって被災した時のままの状態だった。
もう1週間が経過しているが、道行く人は泥だらけで無精ひげを生やしている。
暖を取るために瓦礫を路上で燃やし、皆それにあたっていた。





港では、漂流物をさらい、使えそうな物、食べられそうな物を探していた。



漁港の近くには民家もたくさんあったようだが、跡形も無くなっていた。



漁船も、全て沖へと流されてしまった。
とりあえず、2箇所の避難所へ置いていけるだけの物資を全て渡し、身軽になった。
やって引き受けてもらえてホッとすると同時に、必要な場所に持って行くことができて嬉しかった。
あとはもう帰る方向になるので、余剰になるガソリンも置いてきた。



再び石巻市外を通り、さらに南に向かった。






建ち並んでいたであろう家々が、ことごとく壊滅している。



住宅地が、瓦礫が散乱する空き地になってしまっている。



災害派遣の自衛隊は本当に頼もしい存在だと感じた。
被災者が最初に受ける救援は、まず自衛隊によるものだ。
消防や警察、海外の部隊とは数が違うし、機動力も違う。
やはり現場に真っ先に駆けつけるのは、何といっても自衛隊だ。



救援活動のため、主要道路だけは通れる状態になっている。
特に規制もされていないが、車が少ないので混乱もなかった。



水没した道を走るときは、路面が陥没しているかもしれないし、
釘の付いた瓦礫が潜んでいるかもしれないので恐かった。



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