東日本大震災

青森県八戸市ほか 2011年5月2日





震災から2ヶ月が過ぎた。
壮絶な現場を2週にわたって訪問し、燃え尽きていた。
阪神大震災の時のような後悔はなかった。
現地を訪れて物資の不足している場所を発信することこそが、自分のするべきことだと思った。
2ヶ月が過ぎて、さすがに食料も行き届くようになり、もう生存を心配する状況ではなくなった。
何もやる気が起こらなくなっていた。

そんな時、彩図社(お世話になっている出版社)から、廃線本の企画を持ちかけられた。
日本全国の廃線跡を取材することになるので、もちろん東北にも行くことになる。
そこで、まずはどこよりも先に東北へ行くこととし、4日間の行程を3日間に圧縮して、1日間を被災地訪問に充てることにした。

前々日の夜、仕事を終えてから岐阜を出発し、1日で宮城県と青森県の廃線跡を取材した。
八戸市内で仮眠を取り、2日目の早朝5時、八戸港から沿岸部に沿って南下をはじめた。





八戸港周辺では復興が進み、朝の市場も開場していた。



どんどん南に向かって行く。大きな街はないが、小さな集落が点在し、それぞれ被害を受けていた。



鉄道も大きな被害を受けた。
JR東日本は採算を度外視し、被災した全路線の復旧を明言している。
しかし、中小私鉄は採算の見込めないローカル線を一から敷き直すだけの財力がない。
ハコモノを造るぐらいなら、必要に応じて税金を投入することも必要ではないだろうか。









今回の津波による被災地は、三陸大津波と重なる地点が多い。



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