尼崎脱線事故 〜メディアはどう報じたか〜 その2





翌30日。私の頭から、あの事故現場のことがどうしても離れなかった。再び、尼崎の現場へ向かった。




まずは、報道陣が多くのクレーンを伸ばしている場所へ入った。ここからは、6両目・7両目が見える。現場検証にあたる国土交通省や兵庫県警、状況を確認するJR西日本係員は1〜3両目に集中しているが、このあたりでも作業をしている人が複数いた。




報道のクレーンは、今日も10基が稼動していた。といっても、マスメディアがクレーン車を保有している訳ではないので、業者に依頼してクレーンの操作もしてもらっている。1基のクレーンを1社で使うのではなく、1時間交代とかで、中継の時間に合わせてテレビ局が使い、そうでない時間に新聞社が使うなどしていた。




砂利の駐車場はクレーン車と中継車、報道関係のハイヤーでいっぱいだった。また、現場周辺のいたるところには報道のハイヤー、タクシーが路上駐車されていて、交通の混乱に拍車をかけていた。献花場所付近、小学校前、現場の北側と東側、全部で100台近かったのではないだろうか。





線路の反対側へ移動した。最後尾の7・6両目の車両が上り線から下り線に移され、脱線がはじまったと思われる付近の検証が行われていた。2両目がぶつかって大破したと報じられた架線柱が見える。





その後方にも、報道のクレーンが見える。異様に見えるが、撮影手段はこうするよりほか無いだろう。ニュースでの映像や新聞の写真は、ほとんどがこのクレーンから撮ったものだ。




線路上では、JRの係員が軌道の歪みを確認している様子だった。枕木1本の距離づつ軌道の幅を測り、記録していた。





脱線して下り線を飛び越えた4両目と、大きく脱線しなかった5両目を撤去する作業がはじまっていた。上り線上にある全ての車両を撤去し、線路状況の現場検証を行うためだ。傾いて損傷した車両をクレーンで持ち上げるのは、危険な作業だ。時折、係員の怒号が聞こえた。ここで怪我人を出すわけにはいかないからだろう。

そして、マンションへと向かった。





尼崎脱線事故 その3

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