尼崎脱線事故 〜メディアはどう報じたか〜 その3







マンション脇の踏み切り付近には、昨日には無かった献花台が設けられていた。そして、相変わらず、マスメディア関係者が遺族らを取り囲んでいた。昨日から気になっていて、今日再訪した最大の理由は、これだった。

国民ではなく、メディアが世論を形成しているということは、白装束を追いかけた時によく分かった(注:白装束集団「パナウェーブ」追跡記参照)。このことは、イラクでの日本人拉致事件の時に顕著にあらわれたと思う。自らの生命を賭してボランティア活動や報道のために現地入りし、リアルな危険に遭遇した彼らを褒め称えることはあっても非難することなどできようか。命をかけた「真のジャーナリズム」に、発表文をただ打ち直すだけの「御用報道」といわれる日本国内の大多数のジャーナリストたちが嫉妬した結果だと、私は思っている。

しかしこの事故では、今までにない現場を目の当たりにした。事故発生後、いつの間にかJR西日本が最大の悪者という論調で、各メディアが報じている。テレビでは、JR西日本に怒りをあらわにする遺族の映像が繰り返し放映された。取材の現場では、多数のメディア関係者が遺族を囲み、コメントを誘導しているように感じた。いきなり我が子を失った親の悲しみは、どれだけ深いものか。あまりの出来事に精神的なパニック症状を起こし、理性的に振る舞えという方が無理だろう。そんな状態で多数の人間に囲まれ、「事故を起こしたJRに言いたいことはありますか?」「JRの対応についてどう思いますか?」などと矢継ぎ早に言われれば、批判的なトーンになるのは予想できる。批判的なコメントになることが分かっているから、メディア関係者もそのような聞き方をしている。明らかに誘導尋問的な、恣意的な質問方法だ。精神的にまいっているため、その場で怒り狂えば怒り狂うほど、「いい画」が撮れる。メディアにしてみれば、その場でいい画が撮れれば満足だろうが、遺族はその感情を、今後ずっと引きずることになる。これをカット・編集してワイドショーではなく、ニュースとして流される。フィクションドラマではなく、ニュースとして。




では、JR西日本批判は全て間違っているのかといえば、そうではない。どのような理由があるにせよ、安全を最大限優先させるべき鉄道事業者が事故を起こしたという事実は、批判されるべきだ。事故を起こした列車が制限速度を大幅に越えてカーブに入ったことは間違いないだろう。脱線に至るには複合的な要因があるとはいえ、最大の原因は何といっても運転士の減速ミスだ。直接の原因は運転士にあり、その背景にはJR西日本がある。メディアの論調は、少しずれているし、強引なように感じる。例えば、事故で軽傷を負った人にJRが見舞金を渡した時、赤と白の水引封筒を使った。これがあまりにも非常識だと、TBSが全国ニュースでJR西日本を批判した。しかし、見舞金は死んだ人に渡す訳ではない。生きている人に、早く良くなって下さいという前向きの意味を込めて渡すものなので、赤と白の水引・熨斗(のし)無しの封筒で渡すのが礼儀だ。そうした礼儀も知らず、「怪我した人にお祝いみたいな封筒で渡すなんてどういうつもりだ」と思った記者の意見が、そのまま全国ニュースに反映された形だ。何よりも正確さが要求されるマスメディアにおいて、このようなことが簡単に、日常的に起こっているのだ。

事故当初、JRは置き石の可能性を示唆した。それを受けて報道各社は「置き石が原因か」と報じた。そして、後になって置き石説が否定されるようになると、それもJR批判の材料にした。これは、かなり問題がある。まずは、JRの発表をそのままニュースにしてしまったことだ。JR西日本は株式も上場し、今や民間企業である。その一企業の「言い分」をそのまま報じた。発表があれば別のルートでウラを取るのが当然の流れだが、日本の報道機関のほとんどは、今や調査力を持たなくなってしまった。警察関係者自宅への夜回りで河野さんを犯人かのように報じた松本サリン事件の誤報。発表をそのまま記事にするのが、今や当たり前になっている。今回も、誤報と言っていいかもしれない。報道各社はその責任を、全てJR西日本に転嫁しているように見える。

次に、大幅な速度超過が明らかになり、国交省の航空・鉄道事故調査委員会(以後、事故調)が「敷き石巻き上げ説」を唱えると、JRが責任逃れのために置き石のせいににしようとした、という論調になった。レール上に石を粉砕した跡が残っていたことによりはじまった置き石説が、粉砕された石がバラスト(敷き石)だと分かり否定された。根拠が、全くわからない。粉砕痕を見て、JR西日本は置き石だと思った。それを聞いたメディアも、置き石だと信じた。その後、事故調が粉砕痕が敷き石であり脱線車両が巻き上げた可能性が高いと発表すると、メディアも、そう信じた。レール上に置き石をするなら、まず間違いなく敷き石を使うだろう。粉砕痕が敷き石だったからといって、置き石の可能性が高くも低くもなり得ない。速度超過が主因とはいえ、複合的要因として置き石の可能性を無視することは、危険すぎる。確率は低くても、あらゆる可能性を想定して原因究明に当たらねばならない。




JR西日本の最大の売りは、スピードだ。国鉄民営化以後、アーバンネットワークと呼ばれる関西近郊区間の高速化のために莫大な投資を行っている。運転時間を15秒早くするために、何億もの資金を投じる。その結果、並行する私鉄との競争に勝利し、乗客数が増加した。スピード重視の姿勢が利用者に支持されたと言っていいだろう。このスピード重視の姿勢に問題があったと言われる。しかし、民間企業として利用客の要望に応えるのは、当然のことだ。スピード化よりも安全対策が遅れていたことが問題であって、スピード化自体は企業として当然の取り組みだ。15秒短縮するために何億も使っているのだから、運転の仕方で15秒遅れては、会社としてはたまったものではない。ある知り合いの運転手は、「新快速はきつい。京都で発車が30秒遅れると、神戸でも30秒遅れている」「東西線はブレーキのタイミングが数秒違うだけで遅れる」「雨が降ると空転するため、慢性的に遅延する」と言う。常にギリギリの運転をしているため、オーバーランや遅延と隣り合わせだ。JR西日本アーバンネットワークのエリア内では、全国的に見ても最上級の運転技術が要求される。こうした高い運転技術により支えられてきた「奇跡のダイヤ」と言えるだろう。国鉄民営化以後、2005年4月25日に事故が発生するまで、奇跡のダイヤと安全は両立していた。




最新型のATS(auto train stop system:自動列車停止装置)などが整備されていれば、事故が防げた可能性が高い。一部のテレビ局では、現行の旧式ATSでも事故を防げたと主張する。しかし、JR西日本には、そうすることができない理由があった。現行のATS−SW型では、列車が制限速度を「越えそう」になったら自動的に非常ブレーキがかかり「完全に停止」してしまう。新型のATS−P型は、制限速度を「越えない」ように、自動的に「速度を下げる」仕組みだ。制限区間前にある程度余裕を持って減速しないと非常ブレーキがかかって完全に停止してしまうため、カーブ入り口でピッタリ速度を合わせる現行のダイヤよりかはどうしても遅くなってしまう。また、完全に停止してしまうと大幅に遅れるため、後続列車や接続列車にも影響が出る。そのため、現行のATS−PW型でのカーブ区間速度照査は行ってこなかったし、今までは事故も起こらなかった。JR西日本だけでなく全国的に見ても、カーブの速度照査を行っている区間なんて、ほんのわずかだ。JR西日本が速度超過による脱線事故を過去に起こしていたのならともかく、今回が初のケースとなったことを考えると、「JR西日本が危険を放置してきた」とは言い難い。JRは、アーバンネットワークエリア内の運転が相当な技術を要することを認識した上で、当該運転士には特別な講習を課すとか、適性等を判断して配置を考慮するべきだったのかもしれない。日勤教育というやり方は合理的じゃないし、日勤教育を恐れて乗客の生命を危険に晒すというのは運転士としてあるまじき行為だ。それほどに過酷で不条理な日勤教育を課し、乗客の生命・安全を預かるということの重大さを教育しなかった鉄道会社と、オーバーランのミスを犯し精神的に逼迫して乗客の生命を預かっているという最も重要なことを忘れてしまった運転士。全国どこの鉄道会社でも起こり得る人為ミスによる事故だが、あまりにも痛ましい結果となった。

JR西日本は今回の反省を生かし、このような痛ましい事故が二度と起こらないように、世界一安全で速い、完全たる鉄道技術を構築すべく、高い理念のもと安全対策に取り組んで欲しいと、切に願う。




最後に、この事故でお亡くなりになった方のご冥福と、被害に遭われた方々の一日も早いご快復を心よりお祈り申し上げます。



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