別子銅山 旧別子エリア


旧別子エリアは、その名の通り別子銅山最古のエリア。
300年前に銅鉱床の露頭が発見され、以来208年間に亘り別子銅山の中心地だった。
別子銅山といえば、どうしても近代に施設のあった端出場や東平が目立つが、旧別子地区こそが別子銅山のルーツであり、最も長く繁栄していた場所だ。
端出場や四阪島で別子銅山に興味を持ち、東平や星越、下部軌道を訪れ、最終的に旧別子に行き着く人が多い。
かくいう私も、その一人だ。
今となっては、旧別子地区こそが、別子銅山最大の見所であり、最も楽しめる場所だと思っている。





駐車場に車を停め、この階段から登り始める。
普段の廃墟探索とは異なり、完全に登山だ、



こうした石積みの一つ一つに歴史を感じる。



醸造所の煙突跡。



小足谷接待館跡。
この辺りには、幹部の住宅も建ち並んでいた。












住友の管理だけあって坑道はしっかりと閉塞されているが、トンネルや水路は閉塞されていない。



東述地区には、レンガ造りの機械場も残っている。



道すがら、文久2年に建造された常夜灯が佇んでいた。



ついきにた歓喜坑。別子銅山のルーツ、1番坑だ。
別子銅山と住友の発展は、全てここから始まった。
歓喜に沸いたから歓喜坑。そのシンプルなネーミングもいい。



ここがゴールではなく、さらに上を目指す。



ついにゴール、山頂の銅山越だ。
当時、鉱石を背負子に入れて、この銅山越を通って新居浜へと歩いて運んでいた。



この日、旧別子地区の探索に要した時間は8時間。
それも、飲まず食わずのノンストップ探索で。
この地区だけで鉱山として200年以上の歴史があり、かつては4000人以上が暮らしていた。
それが無人となって100年ほどが経過し、その痕跡が「ちょうどいい具合に」残っている。

ただそこにあるものを見て回るだけではなく、時にはコースアウトして様々なものを発見し、僅かな痕跡から当時の情景を思い浮かべる。
建物が丸ごと残っている廃墟ではできない楽しみ方だ。
これが想像を掻き立てられて、とてつもなく楽しい。

別子銅山のことを語るなら、歓喜坑は絶対に外せない。
住友の新入社員も、必ず訪れる場所だ。
端出場や東平を見たのならば、ぜひ旧別子にも足を運んでもらいたい、オススメの場所だ。



 別子銅山 四阪島へ


 別子銅山のページに戻る