別子銅山
住友財閥発展の礎となった別子銅山。
1691年より採掘を開始し、すぐに日本屈指の銅山となった。
近代においても、足尾銅山とシェアを二部する銅の一大産地であったが、1973年に閉山した。
採掘が今からおよそ300年前、鉱山としての歴史はそう長い訳ではない。
しかし、開坑から閉山まで、一貫して一事業者だけが経営していた鉱山は、他に例が無い。
住友財閥と共に歩んできた別子銅山。
閉山から40年が過ぎようとしている今でも、住友本社の役員と新入社員は、毎年別子を訪れている。
そんな別子銅山の発展の歴史は、公害との戦いの歴史でもあった。
地元住民の健康や環境に考慮し、少しでも公害を減らそうと新技術を取り入れ、設備を更新してきた。
鉱脈を追いかける必要と、公害対策のために生産拠点を移動してきたので、多くのエリアに多くの遺構が数多く現存している。
ここでは、そうした遺構や廃墟を中心に、ご紹介したい。
端出場エリア
星越・煙突山周辺
東平エリア
旧別子エリア
四阪島