東日本大震災

宮城県東松島市 2011年3月20日






壮絶な被災地で行方不明者を捜索する自衛隊。



家は簡単に押し潰され、大破した車がおもちゃのように散らばっている。
とても現実とは思えない、思いたくない光景だった。



水上からも行方不明者を探す。



水面に浮いている車1台1台を、人がいないか検索し、ボートから検索できなかった車両を引き上げて確認していた。






この電車も津波に巻き込まれ、線路上から流されている。



近所の方の話によると、乗客と乗務員は津波がくる前に高台の避難所へと逃れたという。



しかし、津波は高台をも軽々と越え、避難していた乗客たちを飲み込んでしまった。
想定外と言われる今回の震災。想像をはるかに上回る事態に、人はなす術も無かった。



川沿いで、私のすぐ隣で活動していた自衛隊員が、被災者の遺体を発見した。
瓦礫や砂にまみれた遺体を引き出し、近くに落ちていた毛布の泥を丁寧にはらってからくるんだ。
自衛隊員と一緒に、手を合わせた。



多くの命を奪った震災。
被災地には、多くの悲しみがあった。
残された人たちから聞く話は、胸に響く。
この悲しみを決して繰り返さないためにも、少しでも多くの
人から話を聞き、写真を撮って記録し、残したいと思った。



沿岸部を離れて内陸部へと入ると、車を列を作っていた。
これは、ガソリンスタンドに並ぶ給油待ちの車たちだ。
といってもスタンドにガソリンは無く、いつ来るかもしれないタンクローリー待っているのだ。



この後、下道で新潟まで戻り、新潟から北陸道と東海北陸道で岐阜へ帰った。
3日ぶりに温かい食事を摂り、風呂に入った時にはホッとした。
壮絶な現場を歩き回り、今自分がこうしていつもと変わらない生活を送っていることに疑問を感じた。



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