東日本大震災

宮城県気仙沼市 2011年3月19日





宮城県気仙沼市。
地震当日の夜、炎に包まれる様子をテレビで見て、今回の震災の深刻さをはじめて実感した。
当時報道されていた死者の数は100〜200人。
「死者の数が明日には10倍、最終的には100倍まで達するんじゃないか。」
電話で東京の友人と話していたら、現実になってしまった。





2×4などのプレハブ式の新しい家屋は、瓦礫にはならなかったものの、そのまま流されている。






流されてきた2階部分だけが瓦礫の上に。



そしてこの先は、あの火災で焼けていた。



港から随分離れているが、こんなところまで大型漁船が打ち上げられている。






見渡す限りの焼け野原。
震災の後に襲った火災の恐ろしさが分かる。



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