東日本大震災

宮城県南三陸町 2011年3月19日





釜石からずっと沿岸部を南下していたが、大船渡から南三陸町の間で、はじめて行き詰った。
これまではアスファルトが流されていても何とか走れる状態だったが、国道が流され、消失していた。
車幅ギリギリの県道206号を通って迂回し、南三陸町に着いた時には、日が暮れていた。





南三陸町も「壊滅」と報じられており、当時、町の人口の3分の2以上が安否不明の状態だった。



実は、友人の親戚が南三陸町に住んでいて、当初はその安否確認も行う予定だった。



出発直前に、全員の安否が確認されたと連絡が入った。



津波は、建物の屋上まで達している。






被災地に上った月が、海水の水溜りに反射していた。



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